2011年06月28日
厄年に引き込みやすい負の環境
人生の中で、厄年は、その前後も含めて
何回か訪れるものですよね。
まるで宝くじの前後賞含めて、負の代わりに
定期的に
富が訪れてくれれば、いいのですが、
さすがにそういうわけにはいきませんね(笑)
東北大震災以降、日本全体が、厄年みたいな状況に
なったとき、一番やってはいけないことは、無意識的にはすでに
ご存じかもしれません。
それは
「感情にまかせて変化を求めてしまうこと」
今の日本の状況を思い描くときっとご理解いただけると思います。
地球自体が活発に変化する状況の中、人間は、自然に対しても
社会に対しても、ライフスタイルに対しても、思い切った
変化を求めている状況ではないことは容易に想像できるかもしれません。
では
「感情にまかせて変化を求めてしまうこと」
を行ってしまうとどうなるでしょうか?
そうです。待ってましたとばかりに、負の状況が二重三重で
訪れます。
相手にきついことを言われた、上司に恫喝された、
家族の兄弟けんかがエスカレートする
常にライフスタイルに苦痛が伴う、等々
常に原因は、自分にあると思わなければいけないのが
厄年に負の環境を引き寄せないルールみたいなものですね。
今年は、厄年だから、病気がちとか、ボーナスが下がったとか
なんかいつもしっくりこないとか、それは、理由がはっきりしている
のです。
本当に変化を求めることは、常に挑戦し続けるよい姿勢。ところが
それを感情にまかせてやると、投げたつもりのない
ブーメランは、やってくるだろうし、
男女間だと、五感の強い人はなおさら
付き合う相手の邪気や負のエネルギー
を吸い取ってしまったり、女性はpikoレベルから、もろにそれを受け取ったり
また様々な価値や財産、親愛なるものが、離れていってしまうのは
当然のように起こりうるのですね。
相手の負のエネルギーをもらうと、それはそれでやっかいです。
脳がそれを恒常的に覚えてしまうと、なかなかとれません。
感情にまかせた変化を求めることは、常にご自身の
エゴがつきまとうことも、忘れてはいけない事実ですよね。
後厄なんか、厄(やく)を飛躍の躍に置き換えるイメージは、
次のジャンプアップには有効ですね。
神聖な場所に行って、身体の変化を感じるのは悪いことではありません。
たとえば、もうすぐ山開きの富士山に行って、健康だったのに体調を崩してしまう。
吐いてしまう。
そんな状況では、確実に神聖な山のエネルギーがどこからか受け取った可能性のある
好ましくない負のエネルギーにアクセスを試みているが、
恒常的な脳の作用が負のエネルギーを簡単にとりたがらない状況とも
解釈できるのですね。本来、神聖な山に行くと浄化されすっきりするものですよね。
何かしらのアプローチをして、
最終的に厄年の痛みが成長に変われば、
それはそれで結果オーライなのですが
痛みが大きすぎると、最悪、命しまってしまいますから
やはりよくないのでしょうね。
Posted by アロハカレオ at 12:36│Comments(0)
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